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悩める人々へ。『ある無名兵士の詩(グリフィンの祈り)』を。

ニューヨーク州立大学病院の、
物理療法リハビリテーション研究所の
受付の壁に掲示してある言葉です。

160年前のアメリカ南北戦争で負傷した或る兵士から、現代の悩める全ての人へ。

 

『ある無名兵士の詩』全文(日本語訳)

 

大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙虚を学ぶようにと弱さを授かった。

偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことをするようにと病気を賜った。

幸せになろうと富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。

神の意に沿わぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは全て叶えられた。
私は最も豊かに祝福されたのだ。

 

思い通りに行かない、全ての悩める人々へ

 

この詩には付いている銘は、
「全ての悩める人々へ」というもの。

悩みが生まれる時はどういうときでしょうか。
自分が欲したものが手に入らなかったり、
自分の思い通りに行かない時ですね。

悩みは自分の期待から生まれるものですが、
この詩は、
自分が欲するものだけが本当に大切なものなのか
と私たちに問いかけています。

 

確かに、健康や賞賛や富は大切なものです。
しかし、その対極にある病気や失敗や貧困というものは、
必ず忌避すべきものなのでしょうか。

 

この「無名の兵士の詩」が伝えていることは、
これらにもしっかりと意味や学びがあるのだと。

神が作った世の中には、
どんなものでも自分の魂を磨くためのものになり得るんだと。
そう伝えているように聞こえますね。

 

まぁそうは言ってもワイは病気や失敗は嫌ですよ。
とはいっても、そんな状況になったら、
嘆くだけ嘆いた後にこの言葉を思い出して、
人生を投げ出さないようにしたいものです。

 

ちなみにこの言葉が飾られているのは、
ニューヨーク州立大学病院の
物理療法リハビリテーション研究所の受付の横。

 

物理療法リハビリテーションとは、
身体が動かなくなった患者さんに対するリハビリの事です。
日常生活を送れるようにするために行うんですね。

自分の身体が動かなくなる原因は、
事故などの外傷もあれば、
脳疾患からのマヒなど様々です。

原因はなんであれほとんどの患者さんは、
「なんで私が」「なんで俺が」
と健常者を見て嘆くこともあると思うんですよ。

そんな人たちが通うリハビリステーションに
この言葉が飾られていることは、
非常にメッセージ性を感じるんです。

思い通りにならない身体も
神様から授かったものと捉えて、
前向きに生きて欲しい。

自分が欲したものと真逆の現在でも、
神様から授かった試練だと思って生き抜いて欲しい。
魂を磨くのに無駄な事なんてないんだから。
このリハビリステーションの受付の壁に
この言葉を飾った人は、
そういう想いだったのかなぁと想像します。

 

『無名の兵士の詩』はなぜグリフィンの祈りと呼ばれているか

 

この言葉は、
アメリカの南北戦争で負傷した兵士が、
その病室に書き残した言葉です。

南北戦争なので160年前の言葉ですね。
残念ながらこの兵士の名前は分かっておらず、
「詠み人知らず」的な感じになっているそうです。

そしてこの詩を日本語に訳して
日本に広めた人が、
グリフィン神父なのです。

そのため日本では
「グリフィンの祈り」としても
知られているんですね。

 

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midoeita

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