『ししりばの家(澤村伊智)』の解説!果歩の行動にイライラ・ムカッとした人へ、その行動の理由を書きました。
映画『来る』の原作者でお馴染みの、澤村伊智さんの小説『ししりばの家』を読みました。
『ぼぎわんが、来る』『ずうのめ人形』に続く、比嘉姉妹シリーズなんですけど、アマゾンや他の方の評判はあんまり良くありません。
その低評価の原因は、主人公のひとりである笹倉果歩。「そこに行くなよ!」と言ってるのに、自ら危険な場所に突っ込んでいくバカさ加減にイライラ!という意見が多かったですかね。意味不明の言動って、作品のテンポにも関わりますから。
ですが、本を読み終えた後に気がつくんです。この果歩のおバカムーブも含めて、「ししりばの家」の怖さなのだと。そこが分かれば、また見返したいと思うようになるはずです。
この果歩の行動について、本文で説明していきたいと思います。
また、小説の外の、現実の家族問題や社会問題に関してもメッセージを投げかけている作品。それに関しても書いていきます。
ネタバレ含むので注意してください!
もくじ
あらすじ〜平岩邸の怪異を琴子が解決
おかしいのはこの家か、わたしか―夫の転勤に伴う東京生活に馴染めずにいた果歩は、幼馴染の平岩と再会する。家に招かれ、彼の妻や祖母と交流し癒される果歩だが、平岩邸はどこか変だった。さああという謎の音、部屋中に散る砂。しかし平岩は、異常はないと断ずる。一方、平岩邸を監視する1人の男。彼は昔この家に関わったせいで、脳を砂が侵食する感覚に悩まされていた。そんなある日、比嘉琴子という女が彼の元を訪れ…?引用:amazonより
今回は、比嘉琴子が登場します。『ぼぎわん』『ずうのめ』で活躍した野崎昆と比嘉真琴は登場しません。
今回の怪異の舞台である平岩邸は、琴子が小学生時代に肝試しに入った場所。この時の肝試しメンバー4人のうち2人が死亡しており、生き残った琴子と引きこもりの五十嵐君が「平岩邸=ししりばの家」の怪を解決するというストーリーです。
『ずうのめ』で琴子が出てこなくて寂しい思いをしたファンの方は必見です!泣き虫だった琴子が覚醒した理由もわかります!!
果歩のイライラする行動は、すべて「ししりば」の仕業
果歩は最終的に平岩家に取り込まれていきますが、もっと早くからししりばに目をつけられてコントロールされていたのではないかと考えられます。
小説を読み進めていくうちに、皆さんは果歩の危機感が無い行動にイライラしていくと思います。ですがこれらの行動は、ししりばに操られていたからだと考えると、辻褄が合うのです。
・自分の体調の悪さは平岩邸のせいだと分かってる。超常的な「良くない」何かが平岩邸にはあると気がついている。てか霊の姿もGooglemapで確認してる。旦那も「平岩邸には曰くがあるから近づくな」と警告。→果歩「行きます!!」
・平岩君の頭がおかしくなってるとわかってるのに、本人に「目の前のおばあさんは偽物でしょ!」と詰め寄る。
・すぐに逃げない。すぐに平岩邸を出ようとしない。
これらは、ししりばのコントロール下にあり、狂気に頭が犯された故の行動だと考えられます。
それを説明する前に、まずは「ししりば」についてまとめていきたいと思います。少し長いので、内容を覚えてる方はとばして構いません。
「ししりば」とはどういう守神か?まとめてみました。
ししりばは、平岩邸に憑いている守り神として描かれています。どんな守神なのか、簡単にまとめました。
小説の内容を少し忘れてしまった、内容を整理したいという人は読んでください。
①家や家族を守る、霊的なホームセキュリティ
「家を守り、侵入者を攻撃し排除する。師後庭(ししりば)家には大昔からそういうものがいたみたいね。」
「ししりばは言わば霊的ホームセキュリティ-守神よ。それもものすごく強力な。爆弾を止めるなんて芸当はそこらの幽霊や化け物には無理だから 。」
「師後庭家のあとに建った家と、そこに住む人を守り続けている。外敵を排除し続けている。師後庭家がいなくなったことにも気づかず、機械みたいにね。」
②家を守るために、人間を操作する
「ししりばは砂を使って人間の脳に働きかけるのかもしれないね」
「ししりばは人間を操作する。平岩家はおそらくの存在に気づいていない。自分が操られていることもわかっていない。そしてあの家の砂のことも。でも子供- 一番小さい子供にだけは知覚できるみたいね。あの文献によると会話もしているようだし、操作を緩めているのかもしれない」
③子供を守る
「3月生まれだから生物学的にも1番若い。だからししりばは判断した。こいつは守る対象だと。それ以外の3人は侵入者だと。」
④誤作動?家族ひとりひとりでなく、その機能自体を管理する
「家族の誰かが死ぬと、守り神様は欠員を補充するよう家族に指令を送るみたいね。足りなくなったら次を引っ張り込んで操る。そして当初と同じ形に戻す。増える分には問題ないらしい」
「家屋内の安全、家庭内の円満、家族の範囲-守り神様はこの3つを管理する。家の中身が誰であろうと構わない。家族愛だろうと夫婦愛だろうと頭をいじれば作り放題だしね。でもこのやり方には無理がある。機械的すぎる。どうしたって外の軋轢が生じる。」
「守り神様は誤作動起こしてるのかもね。あるいは暴走。ひょっとして爆弾のせいかしら。」
果歩は「平岩家」の一員候補として、ししりばに惹き寄せられていた
果歩は笹倉勇大と結婚してるので、法的には笹倉家の人間です。ですが、ししりばにとって、果歩は平岩邸の構成員としてカウントされるべき存在だったと思うんです。
そう考えると、果歩が平岩邸に引き寄せられていた辻褄が合ってきます。
ししりばは、その家の一番年下の子を守るという特性があります。
その家の血筋ではなく、一時的にたちいった人間に対しても、その機能が働くと。肝試しに入った幼少期の琴子は、一人だけししりばの被害を免れました。この理由として、メンバーの中で最年少だったから、と言う記述があります。
おそらく、ししりばは果歩が平岩家の中で最年少の「守るべきもの」だと認識していたのでしょう。平岩家と果歩の年齢関係は不明ですが、平岩夫妻には子供はいませんでした。
ししりばは、家族の欠員を補充する機能がありましたね。お婆ちゃんが亡くなったら、どこかから別のお婆ちゃんをさらってきて、その家族として補充してましたしね。
平岩家には子供が居ないにも関わらず、ベビーベッドなど育児用品完備の子供部屋がありました。これは家族のピースとして、子供が必要だということを示しています。ただ、平岩夫妻には子供がおらず、ししりば的には子供役を補充する必要があった。この子供役として、ししりばは果歩をターゲットとしたのではないでしょうか。
その証拠に、平岩邸のお婆ちゃんの部屋で気を失った果歩は、ベビーベッドがある子供部屋で目を覚ましました。これはししりばが果歩を平岩邸の子供のピースを埋める人間として認識しているから、子供部屋に移動させたのだと考えられます。
それに、小学生の果歩は、平岩のお婆ちゃんに「家族」のような情念を抱いて接していました。両親が帰ってこないような、ひとりぼっちの家には帰りたく無いと泣いて訴えた回想もありましたね。「おばあちゃんの子供になりたい」と。
大人になった果歩も、旦那の勇大はなかなか帰ってこずに、同じような孤独を感じていました。寝たきりのお婆ちゃんに愚痴ったように、大人になっても「おばあちゃんの子供になりたい」という気持ちは無意識に残っていたのではないかと察することができます。
ある意味、ししりばと果歩の利害は一致しているんですね。
ししりばは、砂で人を操作します。果歩は砂を吸い込んだor料理と一緒に体内に取り込んだかわかりませんが、すでにししりばに操られていたと考えるのが妥当です。
そのため「平岩邸に行ってはダメ」とわかっていながら、誘われるがままにホイホイとついて行ってしまった。
ですが結局は、子供の役割としてではなく、平岩梓の死で欠員となった平岩家の妻として、果歩は取り込まれて行くこととなります。
霊的なセキュリティ「ししりば」のバグが引き起こした狂気は、現実世界でも当てはまる?
ししりばにコントロールされると、普通でないことが「当たり前」となってきます。
この狂気が引き起こす群像劇が『ししりばの家』のキモ。
そもそも、ししりばの本来の目的は「家を守ること」。ですが、戦時中に爆弾から家族を守った際に、ししりばに誤作動が起きてしまいました。
その誤作動により、「家族」という定義が変わってしまったのです。
家族とひと口にいっても、そこにはさまざまな意味があります。「その構成員ひとりひとり」「血統や機能、組織としてのイエ」「住居」など、家族という言葉には、様々なニュアンスが含まれているのです。
誤作動を起こしたあとのししりばからは、家族=「ひとりひとり」という認識が欠落してしまったようです。父、母、子供などという役割や、機能的な面のみを病的に維持しようとして、人々を狂気に向かわせたのでしょう。
この現象は、実は小説の中でのみ起こっていることではありません。
現実の世界でも、家族の機能不全が引き金となって人々は狂気に向かうことがしばしばあります。
2019年に川崎市で起きた「無敵の人」の無差別殺人。この犯人の岩崎隆一も、家庭に難があったとされています。被害者の子供達が通っていたカリタス小学校が、岩崎の姉の通っていた学校と言いますしね。
隆一の少年時代に関して、祖父母の家で差別を受けていた、従姉兄に比べて無下に扱われていたと証言した近隣住民がいる。
ここまで大きな狂気ではなくても、家族の機能不全で少しずつ「頭の中がズレた」人間は多いと思います。
また、作者の澤村さんは「全体主義」に対してもメッセージを送っているのだと考えています。
『ぼぎわん』『ずうのめ』では、どちらかというと行き過ぎた個人主義や自由主義による自我の肥大を描いていた感じがするので、メッセージ的には『ししりば』は真逆だなぁと。
全体主義とは、個人より、組織や社会の機能や理念などを優先するという主義のこと。
『ししりば』では、全体主義が行き過ぎた結果の機能不全を描いていますね。第二次世界大戦中の日本についての記述もありました。
この全体主義の原因は、愛国心のみではありません。例えば、共産主義や、行き過ぎて攻撃的になったフェミニズムなど、どんな思想でも起こり得ることです。
この全体主義は現代にも深く根付いており、「ポリコレ」とも呼ばれています。
ただし、全体主義が悪であるかと言えば、そうとも言い切れないのです。例えば国が無くなれば、国民の生活や財産は守られませんし、経済も止まってしまいます。フェミニズムや労働争議がなければ、社会は進歩してこなかったでしょう。
つまり、個人と全体主義というのは密接に関わりがあるのです。行き過ぎてもダメ、無くなってもダメだと。バランスが必要なんですよね。
ししりばが「家族のひとりひとり」の幸福を無視してイエを守ろうとしたように、現代社会も思想や理念が先行しすぎて、個人が置いていかれがちだと感じられます。
個人の幸せのための家族や社会。そして、個人は次の世代のために社会やを守る必要があると。
やはりバランスが大切ということですね。
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