病気で死にかけて、死生観が変わった話
20代終わりの頃に、一度死にかけたことがあります。
それで変わったことと、変わらなかったことがあるので、それについて書いていきたいと思います。
事の発端は内臓系の病気。大病と呼ばれる部類。
20代の頃に仕事に遊びに酒にと、かなり無茶をしたこともあり、それが原因なのかなと。
ちなみに血液検査の数値は、通常の数百倍あったよ!
死をリアルに感じた人は生き方や人生観が変わると言いますよね。
ですが私は、ぶっちゃけあんまり変わりませんでした。
いやね、「アッ死ぬな」と思った時には、いっぺんに自分の人生に対する寂しさと後悔が押し寄せてきましたよ。そして「生かしてくれたら、更生して爽やかに人生を送りたいなぁ(願望)」と神に懺悔しましたよ。
でも喉元過ぎれば熱さを忘れるんですよ。退院して半年も経ったらヒャッハーしてましたもん。自制心が弱いんですよ、私は。それか業やサガが強いのかもしれませんね。
ただ、変わったことがひとつあって。
死生観と呼ばれる類のものが、私の中で変わりました。
それまでは、死について本当に簡単に考えすぎていたんですね。快楽とか、富を得ることした興味がなかったんですよ。
死生観とは、死(死後の世界)と生(人生)がどういう風に関連しているかという価値観。
それまでの私は、目の前のことのみを考えて行動していました。本当に欲望と本能と社会的観念に正直に生きてきたんです。
ですが死にかけて、自分が世界を切り取る方法に「死」という観点が加わったんですね。
もっと詳しく、私の中で死生観について大きく変わった点を4つに絞ってみました。
①生き物の生き死にに敏感になった
それまでは、周りの人や生き物の命に対して無頓着でした。でも今では、毛虫もクモも殺せない。死ぬ前の自分を思い出します。本当に虫を殺すのが忍びなくてね・・・。(でもGは別)
これが慈悲なのかはわかりませんが、明らかに命に関することについての価値観は変わりました。
②「死とはこういうことだ」がなんとなく腑に落ちる感覚
それまでも「死んだあとどうなるんだろ」という問いに、いくつかの答えを頭の中で用意していたんですね。
それがこの経験を経たことによって、その答えの中のひとつが腑に落ちて納得できました。
ただ、これは逆説的なんですけど、腑に落ちたからこそ、また言語化して説明するのが難しくなってしまいました。
私が得た死というものの理解の中には論理的には両立しえない要素が含まれているのです。しかし理解の中ではそれらが両立し得る、というかつながって存在している。
これは課題ですね。
③死の経験の前に見えた、生きている間にやるべきこと
死の直前には、「後悔」「寂寞」「寂しさ」の感情が一気に襲ってきました。そしてそれと同時に、なぜだかその感情の理由も理解できていました。自分の生き方が、自分の中の本来の部分にそぐわなかったのでしょうね。
よく自己啓発本では「死を想像して、逆算して生きよ」と言います。これは真理。
ですが、これは死の直前のあの感情の波を経験していないと難しい。
今では死と人生がリンクして、この人生で何をすべきかが分かります。
ちなみに先にも書きましたが、このような体験をしても、私の人生に対するスタンスは変わってないんです。頭では分かっているんですけど…。
④死にたくないという気持ちを実感する
今まで、「いつでも死んでいいよ、全然怖くねーし」とどこかタカを括って生きていました。
でも、死ぬって怖い。
というよりも、もっと生きたいって感じました。
「短く太く」なんて私は言えないです
ただ人は死ぬので、その前にどうやってこれを乗り越えたらいいのか。
これら4つのポイント以外にも、おそらく自分が気づいていない部分で変わったことはまだ眠っていると思うんです。
それはまたブログに追加をしていきたいと思います。
人生自体は多分変わっていませんが、死生観は変わりました。これがどう人生を変えていくのかわかりませんが、もっと深く探求をしていきたいと考えています。
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