私が「発達障害(ADHD・ADD)として生きる覚悟」を持てた理由
ADHDと確信してから、10年以上が経ちました。
2021年現在は、ある程度大きな会社で、ある程度権限のあるポジションについて仕事をしています。(これは自慢とかマウントとかではないんですが、少し褒めて欲しい・・・)
ちなみに、鬱もあれば適応障害などの二次障害もばっちりゲットしてるので、毎日を綱渡り感覚で生きています。
それでも私は、ADHDという特性に非常に愛着を持っています。
もちろん、発達障害と発覚した当初は、その運命を呪いましたよ。
陳腐な表現ですが、「なんで俺が10人に1人しかいない発達障害に当選してしまったんだよ!」と、その悲運さを嘆いて泣いてましたもん。泣きながら枕をボコボコにしてました。
それでも自分の中で前向きになれたのは、「発達障害として生きる覚悟」をしようと思えたからです。
ADHDは自分の運命なんだから、それを受け入れないと人生が好転していかないと。
自分の持っているカードでしか自分の人生は回していけないんだと。
そう考えることが出来るようになりました。
そのきっかけは、ある日の寝る前のふとした思索から。
もし両親が、「発達障害だ死にたいうわぁぁああん」と私が泣いていることを知ってしまったら、どんな気持ちになるだろう。ふと考えたんですが、めちゃくちゃ悲しむだろうと想像したんですね。特に父親なんかは、落ち込みながら酒を飲んで、寝る前に少し泣いて、呵責と共に眠りに落ちるんだろうな、と。
そして、発達障害は誰でもない自分の身体そのものの問題。そこから逃れることが出来ないし、この身体で生きていくしかないんです。泣いても嘆いてもそれは一緒で、誰も助けてくれない。自分のためにも、自分を大切に思ってくれる親のためにも、自分の人生をみじめにしたくないと思ったんですね。
だからまずは自分の「ダメさ」も「できなさ」も受け止めて、前向きに生きていこうと。今の「発達障害」の私以外に私はいないのだから、この私を活かして生きていかなければ。
多分これが、発達障害として生きる覚悟を決めた瞬間だったんだと思います。
幸い、発達障害自体が病気(障害)なので、その特性については偏差値の高い先生方が色々と分析をしてくれています。自己分析という観点からみれば、定型(健常者)と比べて恵まれているんですね。
発達障害のことを調べて、自分の行動や思考も深堀りをしていって。
そこで自分の恵まれていた所が、ADHDの特徴のおかげだとも気づけて。
もちろんADHDの特性で、仕事や人間関係でミスることも多かったですが。
この繰り返しの中でADHDが自分の相棒のような感覚になって、情も湧いて、恩すら感じられるようになりました。
もともと私自身が「その他大勢といっしょ」がイヤな人間ということもあったのかもしれません。
長い時間をかけてですが、やっと前向きにADHDと付き合えるようになりました。
冒頭で「ある程度の会社の、ある程度の権限を~」と書きました。これも、あの夜の思索があり、覚悟が生まれて、前向きに受け止められるようになったからだと思います。(それでも毎日綱渡りをしている感覚ですし、もちろんこの社会は生きにくいです)
この文章が、ひとりでもいいので、ADHDの方のお役に立てればうれしいです。
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